SOPHIE'S BRIDGE
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2007/12/21 金曜日

第47話 面影〜エピローグ

 昼下がりのジェリーズ・プレインズはおだやかな陽気に包まれ、ときおり肌をなでていく風が心地よかった。この日はちょうど、ソフィーの七周忌だった。
 ジョンは、約束どおりソフィーのぶどうの木でワインをつくり上げ、完成の報告とお祝いのために、ソフィーが母と暮らした集落のはずれに建てられた母娘の慰霊碑の前に来ていた。
 ジョンみずからの手によって六年の歳月をかけてつくられたワインは、色、香り、味のすべてが完璧な、まさに最高の出来だった。ラベルの貼られていない世界でただひとつのワインと二つのグラスを碑前に置いたジョンは、ふとそばにある木のほうを振り返った。その瞬間、ジョンの目は、木の下方に刻まれた印に釘付けになった。
 短い四本の縦線と、それを斜めに貫く一本の長い線。これは、数を記録するための印に違いない。直感的にジョンの脳裏によみがえったのは、ある日、星空の下で交わしたソフィーとの何気ない会話だった。そう、あの“ふとっちょの木”があるクラーレンスヒルで最後に会った夜。たしかソフィーは、ここで会うのは何回目かわかる?と尋ねてきた。ジョンが、わからない、と返すと、ソフィーは、私はわかるわよ、と言ったきり答えは教えてくれず、悪戯っぽく微笑んでいた。月明かりを浴びて風に髪をなびかせていた横顔を、ジョンは鮮明に覚えていた。その答えこそが、いま目の前にある木の傷に他ならず、二人はあの場所で十九回の逢瀬を重ねていたのだった。
 この日の再会をそこに加えようと思ったジョンは、自分のナイフで大きな斜めの線を一本付け足し、その数を『二十』にした。いつの間にかジョンの両目からは涙があふれ出し、ソフィーが描いた印を指でなでていた。
「ずいぶん…待たせたね。やっと、できたよ、君と僕のワインが……」
 そうつぶやくと、ジョンはしばらくの間、目を閉じてソフィーとの日々を思い出していた。

 ジョンは立ち上がると、慰霊碑のほうへ歩み寄り、二つのグラスにワインを注いだ。一方のグラスを手に取ると、もう一方のグラスと乾杯を交わし、深い赤色をした液体を体に流し込んだ。長く悲しい年月を越えて、今また二人は一緒になれたような気がした。
 胸がいっぱいになったジョンは、空を仰いで大きく息を吐いた。約束を果たせたことで、体の中に引っかかっていた鈍い色の固まりがすっと消えてなくなった。安堵感に似た心持ちになって、ジョンはゆっくりと視線を下ろした。すると、川の向こう岸でこちらを見ている親子と目が合った。

 二人が立っているすこし先には、ソフィーが母と暮らした粗末な家がいまも廃屋として残っていた。娘のほうは六〜七歳だろうか。ジョンは二人に微笑みかけると、慰霊碑のほうに向き直った。と、そのとき、ジョンの全身を激しい衝撃が襲った。震える足でようやく体を支えると、ジョンは再び向こう岸にいる親子の、娘の顔を凝視した。そこに見たものは、ソフィーの面影に間違いなかった。

 ジョンはゆっくりと歩を進めると、“Sophie’s Bridge”を渡り二人の目の前に来た。母親だと思っていた女は、よく見るとかなり年配で、どうやら親子ではなさそうだ。そう思った瞬間もはやジョンの心には、ひとつの確信以外に何もなかった。

「ねえ、君。君はこの村に住んでるの?」
 少女と同じ目線の高さにしゃがむと、ジョンはたずねた。
「ううん。ニューキャッスルから来たの」
「そう。今日は、何しにここに?」
「お墓参り」
 少女が屈託なく答えると、一緒にいた年配の女がいぶかしげな顔つきで割って入った。
「あの、失礼ですけど……」
「ごめんなさい、僕はジョン…アローフィールドのジョン・ボーマンです」
 そう言った途端、明らかに女の表情が変わった。ジョンは、すべてを悟った。そして、もういちど少女のほうに向き直って言った。
「お母さんのお墓参りに来たんだね、君の…君のお母さんの名前は、何ていうの?」
「ソフィーよ」
 ジョンは、無言のまま少女を抱きしめていた。ソフィーの娘エリザベスは、ただポカンとしていたが、一緒にいた女、ボブの妻サリーは、偶然に遭遇した父と娘の姿をやさしく見守っていた。

 十年後————。
 アローフィールドは、名実ともにこの国を代表するワイナリーに成長し、農場をはじめ、さまざまな設備も、ジョンが跡を継いだ頃の数倍の規模になっていた。
 一日の仕事を終え、農夫たちが帰った後のぶどう畑は、しんと静まり返っている。夕陽が山の彼方に沈みかける頃、屋敷では明かりが灯された。
「あなた、そろそろご飯よ」
 テラスの長椅子に横たわっていたジョンに、妻のパーシャが言った。
「ああ」
「あの子は、また倉庫かしら」
「たぶんね。呼びに行ってくるよ」
 ジョンは立ち上がると、階段を下りていった。
 倉庫のドアを開けると、一人机に向かっている少女の姿があった。
「ご飯だよ、エリザベス」
「はぁい」
 ジョンとパーシャは、ソフィーの娘を引き取り、自分たちの子供として育てていた。そして年頃になったエリザベスは、ワインづくりに惹かれていた。
「ああ、早く私のワインをつくりたいなあ」
 伸びをするエリザベスの胸で、射手座のペンダントが小さく光って揺れた。
「そうだな、もう少ししたらちゃんとテイスティングも覚えて、ここで一番のワインをつくっておくれ」
「うん。それまでしっかりとぶどうの木を育てるわ」
 エリザベスはいくつかのぶどうを栽培しており、その中にはソフィーの木も含まれていた。
 夕食に向かう前に新鮮な空気を吸おうと、二人は倉庫の外へ出た。空には、無数の光の粒が瞬きはじめていた。
「今日も星がきれいだね」
 ジョンがつぶやいた。
「本当…。ねえ、パパ……」
 娘は父のほうを見て言った。
「南十字星にお願いごとをしたら、叶えてくれるかなあ?」
 無邪気な娘の言葉に、ジョンはただ微笑んでいた。射手座と南十字星を交互に見つめながら。クラーレンスヒルでは、もう誰も乗らなくなったブランコが、いまも“ふとっちょの木”の下で風に揺れていた。


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